『グルジ』feat. 痛み

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9月14日(土)に東京・南青山のvedaで「グルジ読書会」があって、そこで私の気に入っている『グルジ』のストーリーを紹介して欲しいと言われているので読み直してみた。

『グルジ』は、読む度に心に響く箇所が変わる、自分の写し鏡のような本だと思っていたけど(宣伝ではなくてほんとに正直な感想)、今回は私の現状を表すかのように「痛み」に関する記述がことごとく気になった。

デヴィッド・スウェンソンの場合:

 痛みは警告のサインです。行き過ぎていると教えてくれているのです。アシュタンガヨガには八つの枝しかなく、その中には痛みや怪我はありません。怪我をしたり、体を痛めたりした人は、何か間違ったことをしたのです。練習の仕方を変えなければなりません。

あー、耳が痛い(笑)。

はい、その通り。ぐうの音も出ない。ドロップバックで腰を痛めた時も、この部分を読んで「そうだ、私の練習の仕方が間違ってるんだ」と思って、背中の上の方の背骨がきれいにアーチを描いて曲がるように、腰を極力使わないで後ろに降りるように、意識と練習をがんばって変えたんだよなあと思い出した。今回も、新しくもらったアーサナの練習中に痛めたし、練習の仕方とか体の使い方を変えていかないといけないね。

グラム・ノースフィールドの場合:

ーー グルジはどうやってそのヒーリングのエネルギーを伝えていたのでしょう?

 二つの側面があります。委ねたり手放したりする、精神的な側面。それにもちろん、呼吸をするとか、体や痛みとの関係など身体的な側面です。痛みがあっても練習ができるということ、痛みにとらわれないこと、痛みを変化させること、痛みを超えて行くことができること、私の場合は、そのような考え方や向き合う姿勢を教わりました。

たまに体が痛い時に行く、近所の整形外科の先生は「痛みはすべてに優先するから」とよく言う。痛みがあると他のことは考えられない(痛みは脳の最優先事項になる)という意味で、初めて聞いた時はなるほどと感心した。でも、その事実を知って、一歩引いて痛みと自分を少しでも客観視できれば、グラム・ノースフィールドが言うみたいに、痛みにとらわれたりせず、痛みを超えて行くことができるのかもしれない。

今も、どういう時は痛くて、どういう時は痛くないのか、日々刻々と変わる体と向き合いながら、なんとか練習をしている。よく考えたら、痛みだけでなく、自分の体も心も日々刻々と変わっているはずで、痛みという「非日常」があるから毎日意識して気づくことができているけど、痛みのない「日常」になると何も変わっていないはずという思い込みで、日々の変化を見過ごしているのだろうな。

とまあ、こんな感じで「痛み」だけを切り取っても、含蓄のある言葉満載の『グルジ』なので、この本は本当におもしろいなと思う。

今週末の読書会では、「痛み」以外の気になるところや、好きなストーリーを紹介したいと思います。興味がわいた方、参加してみたい方は、こちらのvedaのページからどうぞ。

 
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