『さよなら未来』

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1年以上前のブログで、この本『さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010-2017』を読み終わったら感想を書こうと思う、と書いていたのにそのままになっていた。

2018年に『グルジ』を翻訳出版して、820ページ以上もある分厚い本なのにきちんと読了して、おまけに感想をSNSやご自身のブログでアップしてくださる読者の方が何人もいて、これまで味わったことのない喜びに感激した。そして、「私もこの人たちみたいに今年のうちに分厚い本を読了して感想を書こう」と、訳のわからない目標を勝手に自分に課していた。「分厚い本を読了する」という大変な体験を自分にも課すことで、少しは読者の方の気持ちに寄り添えるかもしれない、というまったく自己満足的な動機なのだけど、とにかくそういうわけで一応2018年のうちに本は読了していた。

そして、今になってやっと感想を。

この本を読みながら「日本国民全員が課題図書みたいにこの本を読んだら、社会とか世界に対する見方に幅が広がって、今よりもマシな世の中になりそうなんだけどな」と何度か思った。こんな書き方をすると、ちょっと選民意識があるような、上から目線のような、嫌味な感じがしなくもないけど、今の日本の地上波、大手メディア、ニュース、オンライン上にある情報も含め、日本にいて、日本語だけで入手する情報には、偏りがあり過ぎるとずっと思っていた。

かく言う私も、ニューヨークに行くようになるまでは、ほぼ日本語だけで情報収集していたし、アメリカや外国の空気、そこに住む人たちが共有しているベースにある考え方みたいなものを肌で感じることももちろんできず、知らないままに生きていた。

この本の中で、著者の若林恵さんは、カナダのシンガーソングライター、ロン・セクスミスと、盟友ドナルド・カーの歌う「レモネード・スタンド」という曲を何度か登場させる。若林さんが編集長を勤めていた雑誌『WIRED』では、スタートアップやベンチャー、アントレプレナーシップなどを扱うことが多く、スタートアップ・マインドにテーマソングを与えるとしたら、と考えた時に真っ先にこの曲が思い浮かんだのだそう。

  レモンネード・スタンドはすべての善いものの象徴だ
  このあくせくしたつくりもののような世の中にあって

「レモネード・スタンド」というのはアメリカ(あるいはカナダ)における夏の風物詩のようなもので、戸建の立ち並ぶ郊外の住宅地で見かけられる光景だ。家の庭先にスタンドを出して、家の子どもたちが自分たちでつくったレモネードをご近所さんに売るという、まあ、言うなればひとつの風習だ。キモはそれを「振る舞う」のではなく「売る」ところにあって、ゆえに歌詞はこう続く。

  そこで若き事業家たちが小銭を稼ごうと夏を過ごす

ニューヨークでエディのスタジオに通いはじめた頃、夏休みにエディの娘のリリーがスタジオ内でレモネードを売っていた。アシュタンガヨガのスタジオにいる練習生たちは、夏場は特にほぼ全員が汗だくで喉が乾いている。親の職場だから、たまたまそこでレモネード・スタンドをやっていた、というのは間違いなくあるだろうけど、それでも喉が乾いた人たちが大量にいて、しかもそこにいるのはヨギーという奉仕マインドが通常よりも多めの人たちで、その上レモネードを売っているのが先生の娘となれば、レモネードが売れない訳がない。これは稼げるだろうし、賢い子だなと思った。

左:今は無きSOHOのAYNYのディレクターズルームで、レモネードを売るリリー(生徒に隠れてる)、見守るエディ、レモネードを買う練習生。 右:レモネード屋のサイン

左:今は無きSOHOのAYNYのディレクターズルームで、レモネードを売るリリー(生徒に隠れてる)、見守るエディ、レモネードを買う練習生。
右:レモネード屋のサイン

数日後、リリーではない、見たことのない女の子がレモネードを売っていた。リリーよりも年下に見えたので「リリーの妹なの?」と話しかけると、その子は「リリーの従姉妹だよ。今日はリリーはいないよ」と言った。要するに、レモネード・スタンドが軌道に乗ったから、店は別の人間に任せたということらしい。この時に「こんな小さな子どもの頃から、こんな風にビジネスするんだ。これじゃビジネスでアメリカには勝てないわ」と驚愕したのを覚えている。(別に勝ち負けがすべてとは思わないし、ビジネスでアメリカと勝負してるわけじゃないんだけど、直感的にそう感じたので)

 セクスミスが「人生って素敵じゃないか/それはおっきなレモネード・スタンド」と歌うとき、そこで語られるのは、生きていくためにお金を稼いでいくという営為は、レモネード・スタンドでレモネードを無邪気に売っていた頃から地続きの変わらぬものであって、つまるところ人生そのものがおっきなビジネスだ、ということなのだろう。

 と言うとなんだかいかにも世知辛く聞こえるけれども、むしろ歌われているのはその逆、子どもの頃の無邪気さや遊び心の延長としてビジネスというものがある、という伸びやかさなのだとここでは解釈したい。甘やかで感傷的な記憶と結びつくものとしてのビジネス。

つまりはリリーも、ビジネスを拡大するためではなくて、たぶんその日遊びたいから、毎日働くのつまんないからとか、そんな理由で店を人に任せたのだと思う。売上の数%かいくらかを払って従姉妹に店を任せれば、自分は遊べるし、従姉妹もお小遣い稼ぎができるしで、どちらもハッピーハッピー♡(Win-Winじゃあまりにもビジネス過ぎるのであえて)みたいな感じだったのかなと。

ニューヨークに行って、街角のコーヒーベンダーのお兄ちゃんとの立ち話や、地下鉄の中でストリートダンスのパフォーマンスをする少年たち、スタートアップの起業家のインタビューなんかを通して、アメリカの人は楽しそうにお金を稼ぐな思った。もちろんビジネスとなれば大変なこともあるだろうけど、お金を稼いで、会社を大きくして、たくさんの人を雇用して、稼いだお金を投資して、そうやって社会に還元することはとても有意義で素晴らしいことなんだ、という誇りや自信も根底にあるように感じた。

振り返って日本を見ると、極論だというのは百も承知だけれど、大金を稼ぐ=悪いことをしている、もしくは金に汚い、みたいなネガティブなイメージがつきまとう。逆に言うと、お金をたくさん稼ぐことが正義、偉い、かっこいい!みたいなポジティブなイメージは、そこまでないんじゃないだろうか。この辺りの根本的な違いが、大人になってからのビジネスや経営感覚、もっと言うと、個人の経済感覚にもすごく影響しているんじゃないかとニューヨークに行って思うようになった。

なんて、ビジネスに関する私の個人的な意見をつらつら並べてもしょうがないけど、こんな風にあれこれと考えるきっかけや材料、それに新しい視点をくれる本だった。しかも、ビジネスに限らず、音楽、テクノロジー、デザイン、出版とあらゆるトピックの先進的な情報が織り込まれ、それに対する著者の深い造詣や思慮深い考察がありつつも、決してとっつきにくい感じではなく、語り口はあくまでもフランクという、硬軟あわせ持った知的なのに読みやすい文章だった。

そうそう、読みやすいので読むことに疲れはしないのだけど、読みながら内容について自分でも色々と考えてしまうので、1章読むとしばし考えこむ…というのを繰り返していて、私はそこまでサクサクと読み進められなかった。それほど噛みごたえのある、充実した内容であることは間違いない。それに、合間に入っているCDレビューも、読んでいるだけでそのCDが聞きたくなるほど本当に秀逸。

 
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