『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』

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2012年に福岡で開催された「デザイニング展」を取材していて、そのイベントの一環だったトークイベントで初めて坂口恭平さんの話を聞いた(その時の記事)。当時も存在については知っていたし、建築家で、震災後に新政府を立ち上げて初代総理大臣になった人で、双極性障害の人だということはわかっていた。

その後は、建築家という肩書だけにおさまらず、小説家、文筆家として多数の本を出版したり、絵を描いたり、料理をしたり、編み物をしたり、歌を歌ったり、そのすべての活動が本人の生活を経済的にも支えているという、芸術家そのものと呼べるような人生を送っている。

そんな坂口さんが、初めて自分自身について語った本『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』の出版記念トークイベントに行ってきた。

この本では、自身の生い立ち、活動の歴史、双極性障害を抱えて生きながら、日々どんなことを考えているのか、そんなことがとりとめもなく語られつつも、読みやすくまとまっていた。(まとまらない人と話なのに!)

最近ではあまり話さなくなったけど、私もかつては重度の鬱病を患っていて、今となってはよくぞここまで元気になれたものだなと自分でも思うけど、10数年前までは本当に大変だった。だから、本の中で鬱状態の時の苦しみについて語っている部分なんかは、「そうだよね、わかる」と共感することが多かった。

 僕はとにかく体調に合わせて生きていくしかないから、まず書く前に出版社に約束するみたいなことができない。
<中略>
でもそうやって計画立てて本を書くことには憧れがある。いつかやってみたい。でも、そんな安定している状態だったら、書こうと思わないのかな。それくらい、もうこれからどうしたらいいのかわからない、という袋小路の状態にならないと書きはじめない。だから、書くことが仕事って感じでもない。どうにか生きていくためにやるしかないっていう感覚でやってる。

私も鬱病がひどい時はとにかく書いていた。頭の中にネガティブな言葉が暴風雨みたいに吹き荒れていて、それをじっと抱えたままでは本当に苦しくて発狂しそうになるから、とにかく頭の中から一旦外に出したくて書いていた。

次から次へと溢れ出すネガティブな嵐みたいなものを、できるだけ頭の中にある状態そのままに外に出そうと試みる。できるだけ忠実に描写しようとするから、出てきた言葉は理路整然とはしていないし、意味も支離滅裂。それでも外に出したものを自分で眺めて、俯瞰して見ると、少しだけ落ち着いた。

とても人に見せられるような代物ではないから門外不出だけど、あの頃、苦しみから少しでも逃れるために書いて書いて書き続けたことで、書く力みたいなものが少しはついたのかもしれないと、今にしてみれば思う。

僕にはインプットがまったく必要ない。なんにもいらない。インプットしてアウトプットするような芸術家じゃないんだと思う。ただ体の奥底に何かがある。僕も見たこともない世界が。そこは湧き水みたいにずっと何千年も何万年もイメージが湧き続けてる。僕はそれをこちらの世界に出すトンネルになるだけ。だから鬱にはなるし、死にたくなるし、体は動けなくなるのに、これまで一度も書けなくなったことはない。

私の場合は、鬱病が少しずつよくなってくると、今度は人に読ませられるようなかたちで文章を書いてみようと試みた。それで、ブログを始めたりもしたし(それだけが理由ではないけど)、書くことを仕事にするようにもなった。でも、症状がよくなればよくなるほど、自分の中から湧き出るように文章を書けなくなったなと感じるようになった。もちろん、そもそも坂口さんみたいに芸術的な文章が書けていたわけではないのだけど。

逆に、文章だけにとどまらない坂口さんの多彩な才能は、それだけ彼の症状の非凡さや壮絶さを表しているのかもしれない。今みたいな状態まで病気から回復できた私は、それなりの努力や、恵まれた運もあったけど、やはり病状も才能も凡庸な人間だったのだろうし、これは卑下しているのではなくて、私にとっては幸運なことだったと思う。

トークイベント終わりのサイン会にて。お手製の赤いセーターがお似合いです。

トークイベント終わりのサイン会にて。お手製の赤いセーターがお似合いです。

鬱病の時に、どくとるマンボウこと北杜夫とか中島らもとか、双極性(いわゆる躁鬱病)の人の本をたまに読んでいた。躁状態というのは誇大妄想というか、発想が壮大になり過ぎるものだから、ある日突然庭にプールを作ろうと思い立って、ブルトーザーを入れて穴を掘り始め、しばらくしたら鬱状態になって、その穴を見て何てことをしてしまったんだと落ち込む、というようなエピソードを読んだことがあった。

そんな風に、躁状態では社会的なトラブルが起きやすいから、当人も周りも本当に大変そうで、比べるようなことじゃないとわかりつつも「私は鬱だけでまだマシだったんだ」と自分を慰めたりしていた。だから、坂口さんが、躁鬱状態を行ったり来たりしながら、「起業禁止」と家の中に貼り紙をして、創作的な活動を日課としつつ、何とか社会生活を送れる状態に自分を保っているのは、本当に奇跡みたいなことだなと感動する。それが坂口恭平という人の非凡さなんだろうなと。

そうそう、忘れてはならない坂口さんの一番非凡で素晴らしい活動が、無償のボランティアでやっている「いのっちの電話」。自殺者ゼロを目指して「死にたくなったら電話ください」と公言していて、自身のTwitterウィキペディアにも坂口さん個人の携帯番号が載っている。本人曰く「何かの事情で出れない時も、着信には必ず折り返してるから受信率100%」だそう。死ぬほど辛くなったらかけてみてください。

サインもらった。猫かわいい♡

サインもらった。猫かわいい♡

なんだか、私のブログまでもがとりとめもない「まとまらない」ものになってきたので、最後に少し長いけど、一番心に響いたところを引用して終わろうと思う。私が病気とヨガを通して学んだことと同じだなと思ったので。

人間は毎日違う生き物になっていく

 鬱のときもまた、まったく人間が違ってしまう。僕は感情が分裂してる。鬱のときに役立つだろうって躁状態のときに書いた手紙を読んだって、なんにもきかない。鬱の状態も毎回変わる。コーピングできない。でも、それはだいたいの人に当てはまると思うんだけどね。その都度その都度対応する、っていうのを、自分に植えつけていかないとダメ。つい人間ってのは、風邪をひいたら風邪薬、みたいな勢いで対処するよね。違うんだよ、その日によってよもぎが効く人もいれば、アロエが効く人もいる。天候とか、植物の具合とか、いろんな要素で効き方も変わる。薬ってのはそういう条件を取っ払ってる。どんな人にも、どんなときにも効くってことになってる。でもそんなはずないじゃん。人間はその都度、違う生き物になってるんだから。そう思ってない人も多いんだよね。
<中略>
毎日、行きたいと思ってもないのに、会社に行けたりする人は、もちろん有能な会社員かもしれないけど、それはそれでしっかり異常ではあると思う。僕のほうが自然だと思うんだけどね。その日の気分で予定が大きく変わるのが当然な世の中になるといいね。

 
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